アメリカの音響業界紙PRO-SOUND NEWSを読んでいて興味深い記事が目にとまりました。アメリカは日本人を取り上げることが少ない自国中心主義の国ですがこの記事はMr.Abeのパーソナルレコーディングにおける業績といった内容で、Mr.Abeの活動を紹介していました。抄訳してTASCAMの曽根さんに送ったところ、「これはどうやら阿部美春氏のことではないか?」とのアンサーがきました。阿部氏は、AESフェロー会員であり日本支部理事を永年担当しておられますが、こうした業績は、我々も直接知る機会がなかったので、AES TOKYO2003を機会にこうした業績をみなさんに知っていただき、後進の励みになればと思い記事の和訳を掲載した次第です。

掲載の許諾交渉と和訳については、村井氏のお骨折りをいただきましたありがとうございます。

沢口 記


「みんなは誰に感謝すれば良いのかを知らなかっただけ」


Dave Frederick and Steve Krampf (1)
訳: 村井 清二 (2)



パーソナルレコーディング革命は30年前に、恐らくあなたの知らないある人物によって始められた。その人は阿部美春さん。

個々のミュージシャンやプロデューサー達が初めて自らの才能を昔のアーティスト達より遥かに自由に自己表現できるようになったのは手ごろな値段で手に入るテープベースのレコーディング/ミキシング機器と、それらが普及したことによるユーザーの技術的向上なしでは考えられないことだった。

その結果、より高度な表現を目指すために、熟練したユーザーらがMIDI機器(80年代)やデジタルオーディオ機器(90年代)といった次世代テクノロジーを現在のように使いこなすことが一般的になったのである。

それでは阿部さんについて話そう:
「アメリカが発明し、日本がよりよく改良し洗練させる」と言う通俗的な考え方がある。
この考え方は2つの世界的技術大国の関係をわかりやすく説明した表現だが、
この考え方にはたくさんの文化的、社会的要素が複数影響してくる。たとえば、

「最初のヒントはクオードラホニック方式(70年代に失敗した消費者向けのマルチチャンネル方式)からだった」と阿部さんは言う。「驚いたことに、クオードラホニックが廃れた後でもTEAC A-3340(1/4" テープ、4チャンネル、4トラック方式テープレコーダー)は売れ続けた。ミュージシャンたちはそれを使いオーバーダブ録音を行っていた。このことが、ミュージシャンに手ごろな値段のMTR(Multi-Track Recorder)を作ろうと思った最初のヒントである」。

当時、マルチトラックテープレコーダーやミキシングコンソールは高価な選択肢だった。これらを利用したいミュージシャンは40,000ドル、ミキサーと合わせるとそれ以上のお金を用意するか、レコーディングスタジオでそれを操作するエンジニアと合わせて一時間単位でレンタルする必要があった。阿部さんによると、 「TEACはプロフェッショナル用とハイファイ用のテープレコーダーを生産していた。両者の大きな違いは入出力条件(回路形式、インピダンス、レベルなど)と録音トラック幅。つまり、プロ用機器の入出力はロー・インピーダンス、平衡型(Balanced Type)で、コネクターはXLR、ハイファイ用機器はハイ・インピーダンス、不平衡型(Unbalanced Type)、ピンジャックである。従来、プロ用にしかなかったMTRにハイファイ用の設計コンセプトを採り入れ、更にトラック数に対するテープ幅を半分(後に更に半分)にすることで、レコーダーやミキサーの価格をドラスティックに引き下げることができた。 ハイ・インピーダンス、不平衡型回路に伴う雑音対策、狭トラックによるSN比の悪化は当然のことながら高度な設計技術と製造技術で充分な対策をとった」。 かくしてアマチュアミュージシャンでさえもがマルチトラックレコーディングの恩恵を受けるまでに至った。阿部さんのチームは「低価格で高品質なマルチトラックレコーディングシステムを提供すると」と言う新しい目標を定め、一直線に走り出した。

「何でも出来る限りシンプルに作らなくてはならない。しかし、ほんの少しでもシンプル過ぎてはいけない」。Albert Einstein

「レコーダーに関しての次の課題は、テープ幅とトラック数との関係だった」と阿部さんは言う。テープ幅を減らし、トラック数を増やすことができれば、コストを大幅に減らすことができる。結果として、半分以下の値段のテープに2倍のトラック数を録音できるようになり、即席のミュージシャンにまでマルチトラックレコーディングの範囲が広がった。

当時、意識はしていないだろうが、彼らは市場のピラミッドの底辺を大幅に広げていた。同時にAmpex やMCI/Sonyなどのマルチトラック大手企業の崩壊を招きつつ、SSL, OtariやSoundcraftなどの次世代ハイエンド企業がとって変わった。その後、Digidesign, Steinberg, Yamaha やRolandなどのデジタル企業が事実上のスタンダードを築いていった。

話を戻そう。成功の後には少し甘んじて気が緩むものだが、阿部さんは更に先へと挑んだ。1997年、TASCAMが144 Portastudioをリリースしたことにより音楽制作に完全なモバイル性を持たせた。Protastudioは世界初のミキサー統合型4トラックカセットテープレコーダーだ。一回のスタジオセッションと同じような値段で、インスピレーションが湧いたその時に創造環境を提供すると言うミュージシャンの欲求を満たすものだった。

「TASCAM製品の知名度は上がったが、日本の本社ではあまり理解されていなかった」。と阿部さんは顧みる。更に競争力のある製品を作りたいと言う思いとTEACでの経営方針の変更により、阿部さんは去り、日本のラウドスピーカーメーカーのFoster Electricと新たに手を組み、マルチトラック部門をその子会社Fostexに築いた。「Fostexでは3つの重要な発展を遂げた。1/4" 8トラックと1/2" 16トラックフォーマット、そして電池駆動4トラックカセットだ。」しかし、Fostexの成功は革新的な製品のみによるものではなかった。阿部さんは言う。「我々はTASCAMで開拓した市場を利用した。そして優秀な人々の協力を得てディーラーにとって売りやすく、優れた製品を素早く提供することができた」。

まさに、それらの製品は顧客やディーラー、更には阿部さん自身にも高く評価されるようになった。阿部さんは、最大の成果は顧客やディーラーからの評価であると考える。「私はMr. TascamやMr. Fostex、そしてまたガレージスタジオの父、パーソナルMTRの父などとして知られるようになった。これは最高のことだ!」また、彼は彼自身が貢献した技術により新しい市場やビジネスチャンスが切り開かれていることに喜びを感じている。

オーディオや楽器市場の競争は激しく、このことはテクノロジーにとってもコンシュマーにとっても良い事である。阿部さんは言う、「たくさんのブランドがビジネスを競っている。最終的に価格競争は消費者にとっては良いことだが、時々私はこれほど安い値段でこれほど素晴らしい製品を手に入れられる消費者は少し戸惑うのではと感じることがある」。

阿部さんは今後の継続的なデジタルオーディオとコンピュータ機器との融合について楽観視しており、また楽しみにもしている。「我々とパソコンとの関係は今後ますます深まるだろう。私はこれからのコンピュータの変化にとても興味を抱いている。パソコン、デジタル技術、オーディオ機器開発の相乗作用により新しい音楽が生まれることを期待している」。

ミュージシャンが音楽制作の方法を変えていることにあなたは気付いているかという質問に対し、「私たちが行ったことはミュージシャンの事を考えただけ。操作性の優れた手ごろな値段の機械を作ることに力を注いだ」と阿部さんは言った。これらを可能にした阿部さんによる革新を全く知らない、また気付くことさえないミュージシャン達が存在することは明らかだ。

「失敗を恐れるな。それを認め、そこから学び、謙虚に助言を求めよ」。(阿部さんの提言)

Prosound news誌、January 2003 より

(1) Steveはアメリカの初代Tascamセールスレップ、現在もこの業界で活躍中。
DaveはMIDIベースのアプリケーションやDAW等に多大な貢献をしている。
(2) 村井清二:PCベースのサラウンドDAWの普及に今も貢献している。
今回、日本で阿部さんとのインタビューを担当した。